シンプルハウス在籍33年の早川です。

建築業界に携わっている者に共通していることは、どんな建物 家でも店舗でもついマニアックな細部に目が行ってしまう癖がありがちです。
店舗の壁材やトイレの内装、、ついこぶしで「コンコン」と叩いてみるのは私だけではないでしょう。

例えば湾曲している木材



木材の「曲がり」加工は直線の加工に比べ高度の技術、そして数倍の手間+時間+コストが掛かります。
弊社でもオーダー家具で木材の「曲がり」加工の採用はほとんどありません。

これが手作業のみの加工で作る100年前ならなおさらのはず、、、



大阪にある来年で築100年の教会
登録有形文化財に指定されています。

 



ここに来る度、私はいつも気になるモノがあります。
礼拝堂に鎮座している約70台のベンチ(椅子)たち。



そのベンチは一つ一つが美しくカーブを描き、礼拝堂の雰囲気を柔らかく演出しそして溶け込んでいます。
あまりに自然で、恐らく曲がっていることに気づかない?人も多いでしょう。





でも、もしこのベンチが直線だったなら、、、
そうであっても少しも違和感なく、特になんの不自由もありません。

何故、こんなに手間やコストをかけてそこまでこだわったのだろう?
職業柄つい、ベンチを見てこんなことを考えてしまいます。

もちろんベンチだけはありません。
アーチや丸窓、至る所にツッコミどころが、、、ありますが。

 

今では[費用対効果]という言葉を当たり前のように使います。

つまり、限られた予算の中でリノベーションを考える時、優先順位の高いところへ予算を注ぐ。[費用大効果大]
反対に優先順位の低いところを簡素化する。[費用小効果小]
そんな考え方でバランスの取れたリノベーションプランへと仕上げていきます。
これも確かに大事なこと。

しかし、それは現代社会の“効率化“を象徴するような「価値観」かもしれません。

その費用対効果をも上回る価値観とは?
数十台のベンチを湾曲させる目的とは?
莫大な労力と時間をかける理由とは?



経営学者ピーター・ドラッカーの著書の中に「フェイディアスの教訓」という話があります。





紀元前440年頃、ギリシャ彫刻家フェイディアスはアテネのパンテオンの庇に建つ彫刻郡を完成させた。だが、フェイディアスの仕事の請求書に対してアテネ会計官は「彫刻の背中は見えない。見えない部分まで彫って請求してくるとは何事か」と全額の支払いを拒んだ。
フェイディアスは言った。「そんなことはない。人々が見えない彫刻の背中は、神々の目が見ている。」
                        



神々の目が見ている・・・なにも宗教的なことを言いたいのではありません。
常に完璧を目指せというドラッカーのメッセージの中に答えを見つけたような気がします。

完璧を目指す姿勢
それこそが費用対効果をも上回る価値観であり、教訓なのだと。

真実はわかりませんが、当時(100年前)の設計者や家具職人の完璧を目指すという思いと熱意が、今日にもこの教会のベンチに受け継がれていることは間違いありません。





二つの美しさ
・調和の美しさ
・際立った美しさ

このベンチを例えるならまさに“調和の美しさ“です。

リノベーションでも“際立った美しさ“を求めてしまいますが、本当の美しさは“調和の美しさ“の中にある。

そのためには完璧を追求することを目指していく。

つい私たちは華麗なものに目が奪われがちですが、ほんの小さな気づかないようなこだわり。

これこそ「神は細部に宿る」というゆえんでしょう。

 



私は教会のベンチを見るたびに仕事に対する姿勢を教えられているような気がしてなりません。

「仕事力は、細部まで完全を求める真摯さに宿るものである」

常々そんな姿勢で仕事に人生に臨みたい。